1997年に米系医療医薬品メーカーに転職しました。その会社は事業部制をとっていて、その事業部・コンタクトレンズの製造販売のIT係長として入社しました。基幹システム以外のオープンシステム開発を担当したんですが、様々なシステム導入をすることができました。
多次元データベースによるBI(Business Intelligence)ツール、CRM (Customere Relationship Management)システム、それに連動したCTI/PBXシステム、Lotus NotesによるSales支援システム、サイボウズのイントラネットシステム、全社ノートブックPCの選定、ワンタイムパスワード導入などなど。その実績が認められてマネージャに昇格しました。人間関係も良好で、ユーザ部門やIT内部も仲良しで、大企業と小さな企業の良いところを合わせ持つその会社で楽しく働いていました。
しかしその頃、ヘッドハンティングされ、高給につられて、その会社を退職して米系医療器具メーカー転職しましたが、事前に聞いていた内容よりもさらに高いポジション-日本子会社のIT Headでの採用だったため、あまりに未経験で仕事が苦痛となりわずか3ヶ月で退職しました。この転職のために、千葉から川崎市に引っ越しまでしたのに、数カ月後には再び千葉に戻りました。敗北感が強かったですね、その当時は。
次の会社は、米系のコールセンターを開発・販売する会社。初のITベンダー勤務となりました。こちらで身を立てるんだと日夜がんばっておりましたが、アメリカのナスダックがどかんと下がったとのことで、日本の営業・プリセールス部門は全員が解雇ということで、あえなく6か月間でベンダー勤務に終わりをつげました。
会社都合の退職ということで、すぐ失業手当をもらうことができました。ハローワークは失業手当をもらうために訪問していましたが、本命は転職エージェントの持ってくる話でした。複数社の転職エージェント会社と面談をして紹介を依頼いたしました。
その頃は、やはり毎日家にいる生活。ここがチャンス!と旅行を計画するような余裕もなく、なんとなく居心地の悪い日々が続きました。(つづく)