お次はBさん、この方にはかなり振り回されました。
出会いはそのBさんが主催した「バンコク暮らしの会」に参加したこと。
これは、バンコクにて金なしコネなしタイ語なしの暮らしを標榜する会でした。
この会にBさんは、タイ人の彼女を連れて、月1回飲み会を開催していたのでした。
僕のブログ「旅・食べ歩き、ときどきクッキング」に、プロンポンの北海道原始焼き1号店の記事が多いのは、そこに参加していたため。
ここでBさんは、元SEである僕の経歴に着目、バンコクで保険事業を行う時に、手伝ってもらおうと考えました。
Bさんはもともと生命保険会社勤務だった経験を生かし、タイ・バンコクにて「葬儀保険」なるものを企画・販売するといった内容です。
またBさんは、東京で高名な占い師の方と知り合いで、2018年10月に仕事を手伝ってくれる恰好の男性と知り合うと告げられたそうで、運命的な出会いだとはしゃいでいます。Bさんはタイ語も英語も話せないため、英語と少しだけれどもタイ語を話せる僕は戦力になると感じたようです。僕も時間はあることだし、お手伝いをすることを承諾しました。
ここで彼の文章を引用してみましょう。
「葬儀保険」の仕組み
自分がいなくなった時に、葬儀と葬儀費用を準備するための保険です。
葬儀に係る費用を預かり、万が一死亡した場合には、葬儀を行う。葬儀はバンコク都内もしくは近郊の火葬場のある寺にて、1-2日間で執り行ない、遺骨は散骨し、位牌は申込時に登録した日本のご住所にお届けする。
日本に帰国の際は預かり金から販売手数料を差し引いた金額を返還するものである。
これに加えて、故人の銀行口座の解約・現金化、日本の年金の手続きもオプションとして提供するという。
この業務を、営業はBさんが一手に引き受けるから、残りの会社業務の手伝いをしてほしいという内容である。
当初は、こちらの情報誌の一部門として雇ってもらい、保険を販売し、死亡時には葬儀を取り計らうつもりだったらしいが、名だたる情報誌すべてに断られて、彼は自力で起業を決意しました。その際に、相談した時に、日本人1名の従業員に対して、4名のタイ人を雇わなくてはいけないというルールに、「そんなのは名義貸しで無問題」なんて自信満々で言っていたので、そんな甘いもんじゃないと思いますと伝えました。
また故人の銀行口座の解約や年金手続きは、海外で煩雑だろうし、クレームの元になるからサービスに加えないほうがいいと、指摘すると、「それじゃ意味がない」と、もう頑固なじーさんです。少なくとも銀行での解約手続きや日本の年金機構との折衝を私はやりませんと彼に伝えました。
また営業以外の会社業務を遂行できるように、このような本も日本で調達しました。
小さな会社の経理・人事・総務がぜんぶ自分でできる本
少なくとも僕は彼の夢を、微力ながら達成できるように協力しようとしていたのです。
そして2019年6月に何も相談なしに、オフィスを2年間で契約したと告げられました。場所はアソーク・タイムズスクエアの24階のレンタルオフィス。見に行ったら、共用スペースもあり、悪くない物件でした。そこに固定電話を引いて、業務を開始するという。
そこで業務に必要なパソコンやプリンター、スキャナー事情について、スクンビットのパソコン屋さんやフォーチュンタウンまで下見に行きました。またタイでの会計業務について、アウトソースやシステム導入を見据え、クラウドの会計システムを販売している会社まで行って、調査したりしました。
そして会社を立ち上げるという7月まで、あと一週間ってくらいのところで、タイ人を8人雇うことは難しい。しかし会社は設立したものの、最初はタイ人4名ってことで立ち上げて、軌道に乗ったら合流してほしいなんてLINEが来ました。
僕としては、立ち上げ時のルールづくり、会計関連のルール作りやシステム構築が大変だし、そこに参画しなければ意味がありません、12月からならばこの計画には参加しませんと返信しました。そしたらその数分後に、「残念ですが、タイで仕事をするにはタイの法律に沿って、仕事しなければ、必ず失敗すると思います。短い間のお付き合いでしたが、有り難う御座いました。」(原文まま)と返信があり、つながりが切れました。
協業を断るならば、会って頭を下げて然るべきかと思いました。ましてやLINEで「さようなら」なんて新入社員かよ!って感想です。
おそらく彼の会社は失敗すると思います。タイで葬儀のビジネスをしようとしているのに、あまりにもタイでのお寺関連、大使館業務、銀行について無知です。そして情報誌がつかなかったということでネームバリューも信用もない。
2019年12月現在、バンコクでの情報誌の広告や人づてでも葬儀保険の事業が立ち上がったという話は聞いていません。あのレンタルオフィスはどうなったのでしょうかね〜。